在宅看取りの記録
Ⅳ 予想していなかった方
○○寛二さん、享年77歳「脳梗塞の再発?」
○○寛二さんは、脳梗塞で約2ヶ月入院され、退院をしてから僅か3週間足らずでお亡くなりになりました。我々としても、決して予想をしていた訳ではない、突発的なことであっただけに、ことさらに痛みの残るお看取りとなりました。
寛二さんは、ある年の4月12日に脳梗塞を発症され病院に入院されました。私は、退院に向けて、発症後約1ヶ月の5月19日に病院をお訪ねしています。入院中のカルテを見させて頂くと、その時点で診断は「脳幹梗塞」、しかも、「左右の橋・右後頭葉・両側小脳・右延髄」と、多数の箇所に梗塞のあとが見られており、胃癌も発見されている。もともと糖尿病の長期の既往があり、インスリンも使用している。御本人の状態は、呼びかけると軽くうなずきはするが言葉は出ない。簡単な指示は理解しているようだが、手足は両側とも全く動かない、という状態で、正直なところ、かなり重症、ということしか言えませんでした。
脳梗塞は、脳の血管が詰まってしまい、その先に血液・栄養・酸素が送られなくなるために、脳の一部分が死んでしまう病気です。その死んでしまう場所によって、脳の各場所の名前を冠して、脳幹梗塞、とか、左大脳皮質野の梗塞、とか、小脳梗塞、とか、という言い方をします。脳幹というのは、呼吸をしたり、心臓の拍動を調節したり、物を飲み込む機能を調節したり、といった、生命の維持に直接関わることを担っている部分です。同時に、より上部の大脳から体の各部(手足)への命令の通り道でもあります。一方、大脳(の皮質野)、というのは、ものを考えたり記憶したり喋ったり、あるいは手足を動かしたり、という、いわゆる「高次」の脳機能を行うところです。寛二さんの場合、「左右の橋・延髄」というのはいずれも、「脳幹」のさらに細かい部分の名称で、脳幹の中だけでも複数の部分で血管が詰まっている、ということで、生命の危険がかなり高い部位であることは間違いありません。さらに言うと、大脳が比較的無傷であるとすると、ヒトとしての色々な考えであったり、判断力・理性、といった側面は保たれているにも拘らず、手足を動かすことができず、声を出すこともできず、心臓や呼吸といった生命を維持する基本的な機能に障害がある、という、非常に悲惨な状況であったことが窺われました。確かに、呼びかけると視線を僅かに動かし、表情も僅かに動く。全くこちらに対して反応がないわけではなく、それ以前に、顔つき・雰囲気、といったレベルで、ああ、この方はちゃんと「わかって」おられるのだろうなあ、ということが、なんとなく窺い知れるものです。
病院入院中、私が伺う前の段階で、レベルが段階的に悪くなっていることもあり、入院後も脳梗塞の再発を繰り返しているもの、と、主治医はみていました。くどい程に、今後もいつ再発を繰り返すか、突然死するかわからない、という旨の告知を、幾度となく家族は受けたようです。6月22日になって、寛二さんはやっと御自宅へ退院となりました。
退院後すぐに訪問診療を開始、退院翌日の6月23日に御自宅へ伺いました。
寛二さんは、やはり四肢は動かず、首を動かしたり表情を動かすこともほとんどできないものの、問いかけると視線をしっかり合わせてすこーしうなづいたり、目をきょろきょろ動かして室内や窓の外を見ようとしたり、という意思表示が、しっかりしてきたように見受けられました。やはり、「大脳」にはほとんど問題ないのだけれど、体を動かす、ということができないのだろうな、と思われました。
退院してから我々が行ったことは、ごく限られたことでした。一口でもいいから口から食べられないだろうか、そのためにまず、かなり汚れていた口の中を、電動歯ブラシなどを使ってきれいにする。胃ろう栄養を入れることについては、御家族は病院で聞いてきていましたが、ちょうど暑くなる季節で発汗も多く、胃ろうから入れる水分量を細かく調整するように指導を始める。インスリンを使用していましたが、血糖値はそれ程高くなく、また、栄養量も動かない方にしては過量とも思われたので、栄養量を落とす一方、インスリン量を調整する。尿を取る管(カテーテル)も入っていたので、家族に尿を捨てたり、といった指導をする。・・・・などなど、一つ一つは、我々にとっては慣れた事柄であっても、家族にとってはいちいちがとても面倒なことです。入院していれば全て我々の主導で行えても、家族の方ができなければ仕方ありません。訪問看護も週に2度3度と伺って、少しずつ少しずつ、一進一退、家での生活が安定するまでのお付き合いです。
電動歯ブラシを一つとっても、なかなか御家族にとっては難しいものです。長い間洗ったりしていなかった口の中は、歯ブラシをかけると簡単に出血してしまいます。御家族にとっては、出血してしまうともう怖くて、翌日からはしなくなります。出血しないようにしていく唯一の方法は、「気にしないで続ける」ことなのです。2週間程度、辛抱して続けていれば、口の中はある程度刺激に対して「強く」なって、出血しなくなる。そうして刺激を続けていって初めて、口が本当に動かせないのか、舌が動かないのか、声が出ないのか、がわかるようになってくる。・・・こうしたことに得心がいくのにも、2-3週間はあっという間に過ぎます。
7月4日に訪問診療に伺ったときに私の記録に、「口腔内、少しきれいになった。今日も電動歯ブラシで口腔ケア、指導。もう2週間がかり・・・」とあります。このまま口腔ケアを続けて、2週間後くらいには、何か食べ物を少し口の中に入れてみよう、と考えていました。この時には、御本人も電動歯ブラシを口に入れようとすると、自ら少し口をあけて準備をするような動作ができるようになっていました。
ところが、7月10日、午前中に訪問看護が伺った際に、熱が39度以上ある、とのことで連絡が入り、午後一番で診療に伺いました。私が伺った際にはもう熱は下がっていましたが、呼吸が乱れており、呼びかけに対する反応がやや落ちている感じがしました。
ことによると、脳梗塞がまた再発した?ということも頭をよぎり、家族の方にはその旨のお話を簡単にしたことを覚えています。しかし、こうした場合に医者の説明というのは、振り返ってみても、何とも紋切り型で責任逃れのようなものです。「入院中の経過を見ても、またいつ再発してもおかしくない状況でしたから・・・また脳梗塞を起こしているかもしれないですが、もともとのレベルがかなり悪い状態でしたから、症状が進んでいるのかどうかもはっきりとは断定できません・・・」と。看護師の話も総合すると、尿の管が詰まりかかっており、熱は尿路感染も疑われる、と。いずれにしても、おうちでできることには限りがあり、抗生剤と解熱剤を処方することとしました。
同じ日の19時半、当番の看護師に、御家族から、呼吸が停まった、救急車を呼んだ、との連絡が入り、すぐに私の方にも看護師から連絡が回ってきました。私は自宅にいましたが、すぐに車で御自宅へ向かいました。比較的近いおうちでしたので、15分ほどで到着すると、丁度、救急隊も到着して家に入って2-3分、心電図のモニターをつけてはみたものの全く波形は出ず、既に呼吸は停まっている状態でした。
こうした場合、呼ばれた救急隊は非常に困るそうです。呼ばれはしたものの、既に明らかに亡くなっている、とした場合、病院に連れて行く、とは言っても、病院でも何もしようがない。病院に連絡をしても、いい顔をされないことはわかっている(どこの病院も忙しい)。さてどこへ連れて行ったらいいのか。しかし、「死亡」を診断するのは医師の仕事なので、救急隊が御家族に、「死亡」を告げるわけにはいかない。御家族は、「本当に」死んでいるのかどうかわからないとすれば、病院に連れて行って、しかるべき治療をして欲しい。・・・・・・というわけで、そうした微妙な空気の中に私が到着したのです。
残念ながら、救急隊の雰囲気としても、今までの状況からしても、もう絶命していることはすぐに知れました。数度、心臓マッサージのように胸部を圧迫してみるとややモニター上の波は動きますが、マッサージをやめると波は止まってしまう。そのことを御家族にも見てもらいながら、心臓マッサージをいくらか続け、御家族に状況をお聞きしました。19時20分頃、痰の吸引をしてかなり痰が取れたのだが、すっかりとは取りきれないなあ、と苦労していたら、突然呼吸が停まった、と。不謹慎ですが、こうしたところで、事前に「脳梗塞の再発かもしれません」と言っていたことが意味をもってきます。今日一日は、やっぱり御家族から見ても、意識状態、反応が悪くなっていた、と。やっぱり、今日の朝の時点で再発していたのでしょうかねえ、と言いながら、また心臓マッサージをストップすると、やはり、波形は出てこなくなる。何度かのそうしたことの繰り返しのあと、「残念ですが、もう心臓も呼吸も停まっています。今から病院に運んでも、もうできることはないと思います。」と告げ、19時58分をもって、死亡時刻、としました。
もしかすると、直接の死因は、痰がとりきれなかったことによる「窒息」であったかもしれません。しかし、それは御家族にとって重い通告となります。我々医師が死亡診断をする場合に、厳密なルールとしては、「診療中の患者が診療対象でなかった傷病で死亡した場合」には、死亡診断、ではなく、死体検案、ということになり、場合によっては、事件性の有無を考えて警察に通報しなければならないケースも出てきます。寛二さんの場合には、この日の昼に私が診察をしているわけですが、その時点でその日のうちの死亡を予測はできていませんでしたし、死亡の原因がはっきりしているとも言えない。もし御家族が、はっきりとした死亡の原因を明らかにしたい、という場合、やはり病院に連れて行って、解剖、とまではいかなくとも、あらためて脳のCTを撮ったり、といった検査をする、ということもありえることです。しかし・・・御家族もそこまでの御希望はありませんでした。
寛二さんの死亡診断書は、「脳幹梗塞再発」として書かせて頂きました。僅か4回の訪問診療、5回目には看取りとなり、何もしてあげられなかった、悔いの残る結果となりました。
次のコンテンツ→