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​在宅看取りの記録

Ⅲ 大変だった方

○○貴恵美さん、享年72歳「8000mlの腹水穿刺」

 ○○貴恵美さんは、築100年にもなろうかという、大きな古い農家に一人で住んでおられました。正確には、一緒に暮らしていた御主人も長期入院中であり、市内に住む2人の娘さんが、日中は入れ替わりいてくれる、という形で、最期の約5ヶ月を過ごされることになりました。
 病院を退院されたのは、ある年の2月上旬。病院から私への紹介状によれば、その6年前に膵臓癌の手術をしたものの、実際には癌については手出しのできない状態で、その後外来で抗癌剤の治療を続けていたものの、ここ最近腹水が溜まるようになってきたため、今年の1月16日から入院をした、とのこと。癌に対して積極的な治療はしておらず、腹水は抜いてもまた溜まるため、特別入院をしている理由はない、ということで、本人・御家族は、家に帰る希望があるため、訪問診療を頼みたい、という紹介状でした。
 どうやら、御本人には、手術をした際に、「完全には取りきれなかった」とのみ説明してあるようで、その後は詳しい説明をされてはいないようでした。癌の患者さんで、主治医が交替する時には、特に、在宅へ伺う我々のような立場の者は、本人に癌のことについてどこまで話してあるのか、がとても重要になります。我々は、病院での長い経過、検査の結果、手術の結果、いずれについても、確実な情報はほとんどなく、貴恵美さんの場合でも、退院をされたあとに紹介状を持って我々のところに来られたため、以前の主治医に直接会うこともできませんでした。紹介状の文面の、ほんの数百字の情報で、主治医は交替することになるのです。
 腹水、というのは、原因は専門的には色々ありえますが、おなかに水が溜まってしまうもので、癌の方でも良くみられます。水が多量になっておなかがパンパンになってしまうと苦しいので、そのために食事もとれなくなったり、身動きすることも難しくなるので、おなかに直接針を刺して、水を抜いてあげる、すると楽になる。原因によっては、一度抜いてしまえば治る、ということもないではないですが、癌の場合には原因が治らない限りは時間が経つとまた溜まってくる。それでまた抜く、ということを繰り返す。
 医療関係者からすると、そんな風にしょっちゅう腹水が溜まるようだと、少なくとも尋常な状態ではないことは言うまでもないことなので、本人だって、薄々はわかっているだろう、と思ってしまうのですが、一般の方では確信を持って「癌だ」と思えるわけではないですし、疑いは持ちながらも、こちらに尋ねることはできない、誰からもきちんと聞いたことはない、という状態でいることになってしまう、そうしたまま投げ出されてしまうケースが非常に多く、貴恵美さんもどうやらそれに近いようでした。
 2月23日に、初めて御自宅に訪問しました。貴恵美さんは、71歳、癌のためか、顔はやせてやつれたような印象でしたが、受け答えははっきりしておられ、意思表示もしっかりして、目にも力があり、肉体的にはともかく、精神的には格別落ち込んだ様子もなく、むしろ御自宅に帰られて安定しているように見受けられ、癌についてどの程度承知をしているか、どの程度思い悩んでいるのか、など、簡単な会話で窺えるようなものではありませんでした。日中入れ替わりで入っておられる娘さんと、外に出て立ち話をしましたが、娘さんとしても、本人も薄々はわかっているだろうけれど、はっきりとは言わないで、このままそっとしていたい、というご希望でした。私も海外のことを詳しく知るわけではないのですが、日本ではこういう、「雰囲気」のみで流していく、ということを、何となく皆が望まれます。と言っても、本人にそれでいいのか確認をしたわけでもないので何とも言えないのですが、御家族としては、本人も言ってもらわない方がいいと思っている、という風にお考えになるようです。新しく関係が始まったばかりの我々としては、先に書きましたとおり、癌の状態についても詳しい情報があるわけでもなく、御家族もそう望まれるのであれば、そのまま「言わない」ままの関係を、患者さんと結んでいくことになる。このことは結構医療者としてはストレスとしてのしかかってきます。
 最初しばらくは、腹水の溜まりの程度もそれ程ではなく、御本人も屋内くらいは歩ける状態でしたが、徐々に明らかにおなかが出てきて、苦痛を訴えるようになってきて、やはり腹水を抜きましょう、ということになりました。
 腹水を抜くこと自体は、横腹に針を刺して管を通し、2-3時間程度かけて少しずつ外へ水を抜く、というだけのことで、技術的にはさ程難しいことではありません(難しい場合もありますが)。しかし、腹水にもかなり栄養分が含まれているため、抜くことによって(漠然とした言い方ですが)体力がかなり落ちること、また、栄養のことはともかく、体から多量の水分を抜く、ということで、血圧がすとんと下がったり、という危険もあること、もちろん、体内に管を入れているので、何かの拍子に抜けたりして処置をしなければいけないこと、などなどを考えると、一般的には、病院で行うこととされています。と言っても、それが「一般的」なのかどうか、よくわかりません。我々も病院に勤めていた期間が長いので、病院でやるものだ、と思ってしまっているだけなのかもしれませんが、いずれにしろ、いきなり在宅で行う、ということがためらわれ、最初の1回は、入院していた先の病院の外来に行ってもらって、腹水を抜いてもらうことにしました。
 3月8日、退院後初めて腹水を抜いてもらいましたが、その際のお返事として、「腹水を抜くだけであれば、そちらの医院の外来でお願いします。」と頂きました。いずれまた溜まってくるだろう、と思ってはいましたが、1週間足らずでまたおなかがパンパンとなり、3月17日には2回目、3月24日には3回目、・・・と、当院の外来に通って頂き、2-3時間ずつかけて腹水を抜きました。
 腹水を抜き始めて、目に見えてやつれが進んでいく様子がわかりました。腹水を抜くことの危険性も何度もお話し、しかし、よほど苦しくなれば抜くしかない、ということもお話しします。それでも、1週間経つと、我慢しても我慢しても、苦しくてご飯も食べられなくなる。抜くたびに、動くのも億劫になり、外来に来ることもやっとの思い、になってくる。
 我々としても、在宅訪問診療・訪問看護をしている方なのに、外来に通ってもらわざるを得ない、ということには、申し訳ない思いがありました。在宅で腹水を抜くことについて、文献を調べたり、インターネットで検索したりしましたが、そうした実例について、何も情報は得られませんでした。行われているのかどうかすらわからない。しかし、器具もそろえることができ技術的にもさほどの困難がないのであれば、「できない」ことではない。我々としても、何か後ろ盾が欲しかったのです。
 この時点で、外来で抜いている腹水の量は、1回に6000~7000mlにもなっており、これはかなり多量でした。週に一度、7000mlの水を抜く、ということは、一日あたり1000mlの水を抜いている計算で、食事量、飲水量も低下していることを考えると、既にもう最末期の状態で、訪問看護師とのカンファレンスでも、かなり衰弱もしてきているようで、恐らくもう3‐4回も腹水を抜いたらお亡くなりになってしまうのではないか、という予想でした。であれば、やはり最期を迎えるのに、ばたばたと辛い思いをして外来に来てもらって、ということも避けたい・・・というのが、最終的に我々の後押しとなりました。
 4月20日、朝一番、9時過ぎに御自宅に伺って、腹水を抜くことにしました。この頃にはもう、ほとんど起き上がるということもできなくなっており、ほぼ一日中ベッドの上で過ごすようになっていました。大体一週間に一度のペースで腹水を抜いており、抜いてから三日くらいは食事もとれ楽なのですが、四日目くらいからは苦しくなってきていました。刺す針や、水を抜く管、その他の物品は用意しましたが、水を受ける容器がなく、おうちのバケツをお借りしました。いつも寝ているベッドは、左側が壁についており、右側から起きるようになっていたので、右の下腹から針を刺して、バケツに水を受けるようにしました。
 約3時間くらい、ぽたぽたと水を抜く間、我々もじっと見ているわけにもいかないので、血圧低下、意識消失、などの危険性を十分に娘さんや御本人に、あらためてお話しし、他のお宅に診療に回ります。それでも落ち着かず、途中一時間くらいのところで携帯電話で電話を入れ、様子は変わりないか、どのくらい水が抜けたか、など娘さんに状態を伺いました。この間、待機当番だった訪問看護ステーションの所長も、こっそり様子を見に伺っていたのです。みんなが冷や冷やしながら、在宅での腹水穿刺を見守っていました。
 実際には、癌の末期の方で、在宅で何かの処置をするにしろしないにしろ、もう、いわゆる「急変」があっても、対応のしようはない、覚悟を決めてもらう、ということは、十分ご家族にはお話ししてあります。癌に限ったことではなく、御自宅で最期を迎える、ということは、病院でももうどうしようもない、というケースが多いわけであって、周辺の方には、「覚悟」をしてもらう。そうは言っても、やはり、我々の方が覚悟ができていないのかもしれません。
 約2時間で、娘さんの方から、もう水が出なくなりました、と連絡が入り、管を抜きに伺いました。7リットルの水が抜けました。御本人は、いっそうやせてしまったように見えましたが、すっきりした表情で、「これでお昼ご飯を食べられます」とおっしゃっていたのが忘れられません。
 こうして、在宅での腹水穿刺が当たり前となって行きました。御本人も、抜きすぎることも良くない、ということを承知しておられ、できるだけ我慢して我慢して、我慢しきった上で「限界です」と言って来られます。訪問看護もほぼ毎日入っていましたので、看護師にSOSが入ると、翌日には診療に伺って腹水を抜く、という体制が始まりました。四月中はそれでも週に一回程度でしたが、五月に入ると一週間は持たなくなり、六日ごと、五日ごと、となっていきました。五日ごとに、やはり7000mlから8000mlも抜くこともありました。我々としては、「もう今回が最後だろう、もうもたないだろう」と、処置に伺うたびに、内心はびくびく冷や冷やしながら、針を刺して、他のおうちを訪問している際には、「もう連絡が来る、呼吸が停まった、って、娘さんから電話が来るぞ」と、どきどきしながら。
 しかし、実際には、この期間が、貴恵美さんと娘さんにとっては一番落ち着いておられたようです。他のおうちを訪問している間に、一時間くらい経った頃に娘さんにお電話を入れることも習慣になってしまいました。我々がどきどきして電話をすると、娘さんは庭の畑に出て畑仕事をしていたり、洗濯物を干していたりして、「ああ、変わりないですよ」とおっしゃる。5月頃はもう暖かく、天気の良い日が多かったので、もともと貴恵美さんが丹精していたジャガイモの畑を、今年は娘さんに植えさせるのだ、と、ベッドから貴恵美さんが指示を出して、娘さんに働かせていたようです。どきどき不安になるのは医療者だけで十分、お二人は、我々が考えるよりずっと、「覚悟」を決められていたのかもしれません。
 貴恵美さんは、お寿司が大好物のようで、「水抜いてもらうと食べられるんだ」と、嬉しそうに話していました。娘さんも、腹水を抜く日は出前を取ったり、調子がいい日には車に乗せて食べに行ったり、としてくれていました。
 それでも、貴恵美さんに、「先生、こんなに水がしょっちゅう溜まるのは、やっぱり癌のせいなの?」と尋ねられたことがあります。恥ずかしながら、どう返事をしたのか覚えていません。尋ねられてどきりとし、頭の中で色々と考えたことだけは覚えているのですが。「そりゃあ、そうだろう、癌のせいだろう」「何をいまさらそんなことを言ってるんだ!」「そんなことは、ちゃんと病院の医者に聞いておいてくれ!」・・・責任逃れのようなことばかり考えてしまう自分がいました。言い訳がましくなりますが、先にも書いたとおり、我々も本当に不安でした。本当に癌であるのか、他に治療のしようはないのか、検査のしようはないのか、このままただただ腹水を抜き続けているだけでいいのか・・・先端医療機器に守られた病院の医師が羨ましくなるのはこういうときです。患者さんの訴えに対して、とりあえずは、先端(と言っても限界はありますが)の検査を行ったり、写真やデータを見せることで答えることはできますし、そうしないまでも、情報を知った上で答えることができる。我々には何も身を守る「武器」がない。・・・この貴恵美さんの言葉は本当に堪えました。
 こうして、奇跡のように5月も過ぎ、6月に入り、間隔はいっそう短くなり、4日ごとに腹水を抜くようになっていきました。貴恵美さんも遠慮して、なるべく土曜日曜にかからないように、4日にしたり5日にしたり、我慢に我慢を重ねてくれましたが、こちらもそれが痛いほどわかるので、土曜でも日曜でも体制を組むようにしていました。実際、この時期はもう奇跡としか言いようがありませんでした。毎回8000mlを4日ごとに抜く、1日あたり2000ml、それだけの食事・飲水ができているとは到底思えませんでしたし、それまでの経験からは、失礼ですが、もうとっくに亡くなっていいはず、と、スタッフ皆が思っていました。それでも、奇跡も続ければ慣れるものです。このまま当分過ごせるんじゃないか、こういうものなんじゃないか、などという考えも、どこかから湧いてくる。
 7月1日、20回目の腹水穿刺。10時から水を抜き始め、いつものように他のおうちに伺っていると、11時になって、「気分が悪いと言っています」と娘さんから連絡が入り、あわてて看護師を向かわせ、穿刺を終了としました。血圧は80台程度となっており、この日は2000ml抜いたところで終了となりました。
 翌7月2日、日曜日、腹が張って痛い、と連絡が入り伺いました。癌の末期の方では痛みを出すことも多く、痛みを中心とした苦痛を去る、ということが何より優先して考えられるため、麻薬のような強い痛み止めを使うことは、我々の頭の中にはいつもありましたが、それまでは、「痛い」という訴えはほとんどなく来ていたのです。おなかを診察しても、特に張った様子もなく、それまでのようにパンパンに8000mlも腹水が溜まっている様子ではありません。前日2000ml抜いていたとは言え、もう恐らく、溜まること自体も限界に来ているのだろう、と思われていました。呼吸状態も良くなく、血圧も60台と低く、いよいよ危ないのか、と思われ、娘さんにあらためてお話ししました。
 水を抜いて楽になるのなら、抜いて欲しい、と御本人はおっしゃいました。こういう場合の「楽になる」という言葉は、日本語では非常に多義的です。いよいよの終末期医療では、こうしたことも問われてしまう。これまでずっとやってきたように、抜けば、また少しでもご飯が食べられて、痛みもなくなるかもしれない。実際に、私がやってきたことはほぼそれだけでしたし、貴恵美さんがそのことに期待をかけるのももっともでした。希望通り、腹水を抜きましたが、この日は2000mlしか抜けず、しかし、痛みはだいぶ楽になったようでした。痛みが強い際のために、モルヒネ(麻薬)と、安定剤の座薬を処方しました。
 翌日7月3日は、私は訪問しませんでした。訪問看護は伺い、おなかも張っておらず、痛みも訴えなく、安らかな表情だったが、もう何も食べておらず、呼吸状態も悪い、という報告でした。
 その深夜、7月4日の午前3時、呼吸が停まった、と、夜も泊まることにしていた娘さんから連絡が入り、駆けつけました。娘さんが3時に起きて声をかけたときに、息が停まっていた、とのことでした。
 苦しまず、モルヒネも安定剤も使わず、穏やかな夜だった、と。

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